15年間、下北山村で過ごした日々は決して忘れない。

執筆者
門川嶺秀
門川嶺秀
  1. きなりとトップ
  2. 日々を読む
  3. 15年間、下北山村で過ごした日々は決して忘れない。

僕は母のお腹の中にいるときに、この下北山村に来た。そして、中学卒業までの15年間をこの村で過ごした。たくさんの出会いがあり、たくさんの思い出ができたこの15年を振り返ってみようと思う。

 

2006年3月に父の仕事の転勤により下北山村で暮らすことになった。父の仕事は、駐在所に勤務する警察官だ。僕は物心がついた時からいつも制服姿の父を近くで見ていたので、父の仕事に憧れ、将来警察官になると決めた。

 

 

父は奈良市、母は大阪市の出身である。両親は、下北山村とは真逆である都会で暮らしてきた。二人とも初めての田舎暮らしで、慣れるまでは不便もあったけど、僕が生まれてからは、自然豊かな環境が伸び伸びと子育てをするのにとても良いと思ったそうだ。

 

 

僕には、生まれた頃からずっと一緒に育ってきた同級生が7人いる。その後に転校生が来て、この春には自分を含めた8人で卒業する。

 

 

この村では、高校進学のために、中学校を卒業すると下北山村を離れなければいけない。親元を離れる子、家族で引っ越しをする家庭、さまざまである。なので、下北山村の子どもたちは家族との15年を大事にしているし、家族と過ごす時間も長い。

 

 

僕は下北山村の自然が当たり前にある世界で育った。川の水はとても澄んでいて、夜空には綺麗な星が見え、鹿や猪、猿などの野生動物もよく道路で見かける。また、夏には蛍を見れるところもある。

 

 

僕は小さい頃から、よく大阪のおばあちゃんの家に遊びに行っていた。

 

おばあちゃんの家は自転車で梅田へ行けるような都会にある。街はキラキラしており、コンビニもスーパーも、何もかもが揃っている。こう比べると都会の方が田舎よりも良いと感じるかもしれないが、それは生活するのに便利というだけのことかもしれない。

 

下北山村はスーパーもコンビニもない不便なところだが、都会では味わえない、人の温かさや自然の豊かさを感じることができる。村の人は皆親切で、優しい。特に子どもたちには自分の子どものように接してくれる。

 

 

僕が川魚を好きだと知ってから、釣りに行くたびに鮎やアマゴを持ってきてくれるおじさん。保育所の頃にもらった筍のお礼を言って以来、毎年春になると「筍持ってきたよー」と届けてくれるバス停の横のおばさん。

 

道を歩いていると「駐在さんとこの子やなぁ」と声をかけてくれるおじいさんにおばあさん。僕の大好きな仮面ライダーの話で盛り上がれるライダー仲間のおじさん。いつも近くに優しい人たちがいた。そんな下北山村が僕は好きだ。

 

 

僕は小学校2年生の終わりに担任の先生の誘いで、下北山村と川上村の合同の少年野球チームに入った。しかし、小学校4年生になったと同時に人数不足により、その野球チームが解散してしまった。

 

僕は野球を続けたいと思い、両親にお願いして吉野町の野球チームに入った。そして、小学校卒業まで吉野町のチームで野球を続け、中学校では宇陀の硬式野球チームに入り、中学卒業まで野球を続けた。

 

習い事をするのは難しい下北山村だが、僕は小学校1年生から6年生まで、三重県の御浜町でサッカーもしていたし、学校の音楽の先生にピアノも習っていた。野球も今まで続けてきた。特に、野球に関してはたくさんの人に応援してもらった。仕事が終わってから家の前で父とキャッチボールをしたり、母がノックをしてくれたりもした。

 

 

素振りをしていると仕事帰りの先生が寄ってくれて、キャッチボールと羽根投げをしてくれた。学校でも先生がキャッチボールの相手をしてくれたり、野球の話もよくした。野球に誘ってくれた先生は僕の中学3年生までの試合をほとんど見にきてくれた。この先生に出会っていなければ、僕は野球と出会っていない。

 

 

自分のやる気はもちろんだが、両親の協力のおかげで、僕は伸び伸びとやりたいことをやらせてもらった。この経験は下北だからこそできたと思う。

 

僕は将来、警察官と野球が両立できる警視庁野球部に行こうと思っている。そのために野球に真摯に向き合いつつも、学業をおろそかにしないよう心掛けた。そしてこの春、その夢へ近づくために文武両道が可能な京都の高校へ進学して、より本格的に野球に打ち込んでいく予定でいる。

 

 

下北山村の子どもの人数はとても少ない。しかし、少ないからこそ小学生から中学生まで学年関係なく仲が良く、とても賑やかだ。学校も、先生が生徒一人ひとりに丁寧に勉強を教えてくれる。ほとんどの子が塾に行かず、それぞれの進路を決め進学している。

 

先生たちは休み時間に一緒に遊んでくれたりもする。また、中学生はオーストラリアに短期留学もできる。これほど教育が充実したところは他にはないんじゃないかと思う。

 

 

僕は子ども時代にこの場所で過ごしたことが、これからの自分の人生にとって、すごくいい経験だったと思っている。だから、この素晴らしい村で子ども時代をぜひ経験する子が増えてほしいと思う。

 

僕はもうすぐ下北山村を旅立つ。ここを離れるのは寂しいが、目を閉じると優しいおじさん、おばさん、ずっと応援してくれた先生、いつもそばにいた同級生、下北山村の景色、父と母と三人で野球の練習をしたこと、全てが僕の中にある。

 

僕は下北山村で生まれ育って本当によかった。人の温かさや自然の豊かさなど、たくさんのことをこの村で学んだ。なかでも一番思い出に残っているのは、春に咲く綺麗な桜だ。下北山村の桜は素晴らしい。

 

 

僕の一番好きな花だ。桜は美しいときに散る、この儚さに魅力を感じる。そして桜の花びらは散ったとしても、また春に見事に咲く。その一瞬のために、暑い夏も寒い冬も耐えている。そして綺麗な花を咲かす。

 

これから新しい道が続いていくが、僕の後ろにはいつも優しく包んでくれた故郷がある。僕はこの大好きな下北山村の桜のトンネルをくぐり、新しい未来へ旅立つ。

 

いつかはまた帰ってくる。この15年間下北山村で過ごした日々は決して忘れない。

 

 

Kadokawa Reishu
門川嶺秀

下北山村生まれ、下北山村育ちの高校生。2022年3月、下北山中学校を卒業すると同時に村を離れ、野球と勉学の両立を目指して京都の高校へ進学。下北山村の桜と仮面ライダーが大好き。将来の夢は父親と同じ警察官になること。いつか必ず下北山村に戻ってくると心に決めている。

最新記事 New Post

寄付する

ご利用のブラウザでは正しく動作しません。
Google Chromeなどの最新のブラウザをダウンロードし当サイトをご利用ください。