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  3. 下北山村のラウンダバウト

 

「ここから、下北山村ですよ」

 

赤司研介さんが晴れやかに告げた。どのくらい車を走らせてもらっただろう。車窓の外に人家は見えず、たっぷりとした緑がどこまでも続いていた。

 

「ここで道に迷ったら帰れないかも」と冗談を言うと、

 

「大丈夫。下北山村は、道がぐるっと円になっているんです。迷っても、歩き続ければ必ず元の場所に出られますよ」

 

ハンドルを操りながら赤司さんが笑う。

 

 

この道路は正円を描いているわけではなく、曲がりくねりながらつながっており、そこから東西南北それぞれに道が続いている。それでもその話をきいたとき、心のなかに丸い道が浮かんだ。

 

そこから連想したのは「ラウンダバウト」(円形交差点)だ。十字路のかわりにドーナツ状の道路の四方八方に道が続いているのが、ラウンダバウト。侵入した車は、ドーナツをぐるぐる回りながら、目指す道へ抜けていく。ヨーロッパの道に多いときく。

 

下北山村のラウンダバウト。村に滞在している間、この道を何度もぐるぐるとめぐることになった。

 

 

道沿いに歴史民俗資料館があって、村の出身者3人の功績が展示されていた。

 

建築家の西村伊作、化学者の中瀬古六郎、書家の杉岡華邨。「文化学院」を創立した西村は戦後間もなく世界一周を果たしたし、中瀬古は渡米して研究を重ねた。杉岡は、かな書の第一人者だ。

 

この静かな、小さな村から、大きな世界に羽ばたいた先人がいる。それも、3人も。

 

世界を目指すのは下北山村の人々の気質なのだろうか、それともなにか理由があるのだろうか。

そう尋ねると、館長は「うーん。どうなのでしょうねえ」と言ったあと、「子どもの頃、よく『あの峠を超えたら、広い世界があるんだな』と思った、ということが杉岡先生の著書には書かれていますね」と教えてくれた。

 

眺める先に、こんもりとした緑の山があった。

 

 

「山のあなたの空遠く 幸い住むとひとのいう」という詩がある。もしかしてあの3人は、幸いを求めて広い世界へと出て行ったのだろうか。

 

 

下北山村には、美しい川が流れている。地元の人たちは、よく川で遊ぶのだそうだ。私は川で泳いだことが人生で一度もないから、そんな話をきくと、うらやましくて仕方ない。

 

「えっ。川で泳いだことがないなんて!」

 

 

そう言って手を口にあててにやにやーっと笑ったのは、小野晴美さん。

夫の正晴さんと「晴々(はるばる)」というゲストハウスを営んでいる。県外から移住してきたふたり。下北山村のラウンダバウトに入ってきて、ぐるぐると回って、ここに住居を定めたというわけだ。

 

 

「うちは、夏は川がお風呂ですよ」と言う。いいなあー。敷地のすぐ下を川が流れていて、そこで身体を洗うなんて、夢のようだ。

 

その川の水を畑にまき、野菜が育つ。その野菜を人が食べて、余ったところは鶏に与え、鶏糞は畑にまいて。ラウンダバウトのように、ここでもちいさな循環が無理なくおこなわれている。

 

 

「今度は夏に来てくださいね」と言われてうなずく。「晴々」のラウンダバウトに入ってみたい、と思った。

 

 

村役場の和田英樹さんもやっぱり、子どもの頃には川で遊んだという。和田さんは村の出身で、地域振興課の課長。私と同い年だ。

 

連れて行ってくださったのは、ご自宅の近所にある「はしど橋」だった。橋の上に立って見下ろすと、とうとうと水が流れ、小魚が泳ぎ、川底まで透き通っている。

 

 

「泳ぎながら、モリで魚をつくんです。この橋の欄干に立ち上がって、そこから川に飛び降りるのが、川遊びの最終形でしたよ」

 

和田さんがそう言って笑う。

 

「そのままザブンと落ちると鼻の中に水が入るので、大きな葉っぱを口にくわえて鼻をふさぐんだよね。水中眼鏡がくもらないようにするのは、ヨモギを叩いてすりつけるといいんだよ」

 

目の前の和田さんがピカピカのヒーローに見えた。

「自然から学ぶことが多かったなあ」と和田さん。

 

思わず、「和田さんが小さい頃から、この川はずっとあるんですね。変わらないものがあるなんて、いいなあ」と言うと、和田さんは「うーん。でも、川の形は変わりましたよ」と言う。水の量も変わったし、砂も多く入って河岸が上がってしまったし、昔あった橋の支柱も朽ちてなくなってしまったそうだ。

 

「山と川はつながっているからね」と、和田さんが言った。

 

昔とは違うと言っても、下北山村の山々は、深くて気持ちがいい。原生林も残っている。

 

 

うつ病に悩む人々の社会復帰を支援するため、森の中で過ごすプログラムなどもおこなわれているときく。苔むしたこの森で寝転んだら、きっと気持ちがいいだろう。

 

 

河野祐子さんが「森を案内するよ」と言うのでついていった。

 

河野さんはかつて、長く都内でデザイナーをしていたそうだ。いまは地域おこし協力隊として村役場に属し、自伐型林業に力を注いでいる。いまでも迷いながら、この森で自分にできることは何かと、真摯に探っている。

 

道に迷っても、そのまま進めば元の場所に戻れる、つまり、何度でもスタートを切り直すことができるのが、ラウンダバウトの良さだと思う。

 

デザイナーから現在の仕事に転身するのは勇気のいることだったかもしれない。けれどもここはラウンダバウトだ。幾つになっても、何度でも、原点に戻ってはスタートを切ればいい。

 

仲間の安井洋文さんが伐採するのを見せてもらった。河野さんたちは「木を倒す」と言わずに「木を寝かす」と言う。その言葉のとおり、実に静かな伐採だった。チェーンソーで挽いて、ロープを引く。しんとした森に木が横たわると、木ひとつ分の光が差し込んできた。

 

 

「こうすると、森に適度な空間ができて、木が成長しやすくなるんだよね。根もしっかり張って、水をたくわえることができる。その水が、川に流れていくの」と、河野さんが教えてくれた。森を育てるということは、川を育てることでもある。自然はこうしてつながっているのだ、とハッとした。

 

伐採した木は、どう使われているのか。赤司さんが連れていってくれたのは、村内の製材所だった。

 

 

20年ほど前、木工に興味のあった本田昭彦さんが、妻の出身地である下北山村に一家で移住した。そして4年前、使われていなかったこの製材所を村が林産加工施設として復活させた際に、指定管理業者として経営を引き受けたのだという。

 

 

ここで本田さんは、地元の木材を使って製材し、また、家具を作ってもいる。

 

 

下北山村は、木材の産地として知られる吉野と熊野の中継地点。かつては奥地川から北山村までいかだで原木を流し、さらに北山村の人が大阪までその材を送っていったという。

 

いかだ師は峠を通って村に戻る。山の頂上には居酒屋があり、一杯やって帰るのが楽しみだったとか。

 

 

「うちのじいちゃんは材の伐り出しをしていてね。ばあちゃんは、杉苗をリュックにしょって植えていたそうですよ」と、妻の美紀子さんが言う。

 

国産の木材が使われなくなるにしたがって、山が荒れ、製材所がなくなり、長らく循環しなくなっていたけれども、村内でこの製材所が再開して、小さいながらも循環が戻ってきた。

 

村内の山から、伐採された木が届く。それを、本田さんが製材する。その材は、村内に新築された保小中合同校舎に使われた。

 

 

「うちの子たちも通っている学校です。これは木目がきれいだな、これはひのきのピンクがきれいだな、この子はフシがなくていい子だな、って。そうやって、全部で5000枚が使われたんですよ」と、美紀子さんが笑う。

 

それぞれの方のお話を伺って、森と、木と、川が、私のなかでようやくつながった。

 

ラウンダバウトの良いところは、ぐるぐると回るだけでなく、出ていくことも、戻ってくることもできることだ。

だから下北山村にやってきた人々は、ぐるぐるとめぐり、何かを見つけ、何かを残し、何かを継いで、暮らしていく。

 

たしかに、昔はもっと無理なく循環したのだろう。山も川ももっと豊かだったのだろう。

それでもこうして、誰かが行動することによって、少しずつ循環を取り戻すことができる。そこが下北山村の底力なのだな…と考えたところで「あ、そうか」と思った。

 

西村伊作や中瀬古六郎が、大きな世界へ出て行った理由。

 

下北山村はいわば、小宇宙だ。小さな場所だからこそ、自然は循環し、人々は身の丈の幸いを見つけることができる。ここでうまくいくことは、もっと広い世界においても、通用するはずなのだ。

 

 

だから彼らは、大きな世界へと出て行ったのではないか。山の彼方に幸いがあるのではなくて、ここに幸いがある。彼らは幸いのありかをこの村でたしかに掴んだから、それを広く実践するために、山の彼方へと向かっていったのではないか。

 

そう考えると、いまこの村にいるひとりひとりが実践していることは、未来の、世界の希望でもある。そうか、この村の人たちはパイオニアなんだ…、そう思ったら、胸がいっぱいになった。

 

下北山村のラウンダバウト。この場所を知ったことで、私も少しだけ強くなれそうな気がしている。

 

 

photo by Togo Yuta , Akashi Kensuke

 

Watanabe Naoko
渡辺尚子

東京生まれ。学生時代は舞台美術研究会に所属し、ライブハウスや小劇場の照明にあけくれる。卒業後、出版社勤務を経て、フリーランスの編集者、ライターとなる。現在は東京西郊の、野鳥が集まる雑木林の近くに暮らしながら、市井の人々の生活を記録している。「暮しの手帖」で連載中。

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