何もないから思い出した、本当に大切なもの。

執筆者
矢谷尚俊
矢谷尚俊
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「下北山村」

 

実家が奈良市にある私も、その名前をほとんど聞いたことがなかった。

奈良県の南の方にある秘境。

私を含め、何となくそんなイメージを抱いている人が多いのではないかと思う。

 

奈良の南部というと吉野の桜が有名であるが、調べてみると下北山村はさらにそこから70kmほど南に位置している。物理的にも心情的にも、かなり遠いところにある田舎。これが私の率直な印象だった。

 

思えば、これまでの人生で「村」に行ったことはほとんどない。

 

田舎、おじいちゃん・おばあちゃん、山、不便、地域によっては排他的…? 個人的にはそんな漠然としたイメージを抱いていた。それ以上でもそれ以下でもなく、ただそれだけ。特に興味もなく、「村」をこれまで身近に感じたことは一度もなかった。

 

そこそこ都会で生まれ、何不自由なく育った私にとって、「村」は遠い存在で、イメージでしか語ることのできない存在だった。

 

 

ただ、自然の中で遊ぶのは昔から好きだった。

 

父に連れられて、子どもの頃から川で魚やサワガニを捕ったり、広い公園でバッタやトンボを捕まえたり。お土産にカブトムシや鈴虫をホームセンターで買ってきてくれたこともあった。ずっとマンション暮らしだった私にとって、鈴虫の鳴き声を子守唄にして眠るのはとても新鮮で心地よかったのを覚えている。

 

父は「ゲームなんかするより、外でどんどん遊べ!」というタイプだったので、意識的に外に連れ出してくれていたのかもしれない。そのおかげもあってか、私は外で遊ぶのが大好きになり、大学では自転車旅行やキャンプに熱中した。

 

私が社会人になった年に亡くなった父との思い出を懐かしく感じつつ、今では私が5歳の長男・3歳の長女の父となり、幼い頃の私と同様、そこそこ都会にて家族4人で暮らしている。

 

そんな私が、会社のプロジェクトの一環で、下北山村に約2週間、テレワークをしながら家族帯同で滞在することになった。

 

一応自ら立候補をしたものの、ワクワクより実は不安の方が大きかった。宿泊する古民家にはテレビはなく、Wi-Fiもつながらない。周囲には便利なコンビニや、家族で買い物ができるショッピングモールもない。当然、子どもが好きなウルトラマンのゲームができる施設もない。何でもある生活に慣れていた私たちにとって、「何もない生活」は不安でしかなかったのだ。

 

そして出発の日。

空にはどんよりとした雲が立ち込める。

 

あれもあった方がいい…。これも念のため持っていこう…。

 

不安と比例して、荷物はどんどん増え、ミニバンのラゲッジスペースはいっぱいになった。自宅から約170km、3時間半ほどの道のり。荷物のせいもあってか、アクセルペダルが重く感じられた。

 

 

自宅を出発して数時間。夕方到着してみると、担当の方をはじめ村役場の方数名がわざわざ出迎えてくれた。休日なのに申し訳ないと思うと同時に、その心遣いがうれしかった。

 

その日は道中で買ってきたお弁当やお惣菜で夕食を取った。子どもたちは新しい環境にはしゃいでいて、なかなか眠れなかったようだ。しかし、問題は明日以降。何もない環境で2週間、何事もなく過ごすことができるだろうか。子どもたちは退屈しないだろうか。不安はまだまだ晴れないまま、初日は終了した。

 

そして翌日、保育士資格を持つ村の方に子どもを預け、コワーキングスペースで仕事を始めた。

 

 

共有スペースでパソコンを開いていると、いろんな方が話しかけてきてくれた。慣れない環境に加えて人見知りという性格もあって最初はかなり緊張したが、村の方の笑顔がそれをほぐしてくれた。

 

驚いたのは、大量のおすそ分け。勤務開始初日だけで、ナス、スイカ、メロン、空心菜、バジル、大葉、オレンジジュース…滞在中、ここには書き切れないくらいたくさんのおすそ分けをいただいた。散歩中に急におばあちゃんに声をかけられ、焼き芋をもらったこともあった。

 

 

村を案内してもらったり、山で杉玉づくりをさせてもらったり。他にも、ブルーベリーの収穫、川での鮎獲りなど、さまざまな体験をさせてもらった。排他的どころかフレンドリーで、優しい人ばかりで、気がつけば下北山村のことが好きになっていた。

 

 

そういったなかでも、私たちが一番魅力に感じたのは、やはり下北山村の豊かな自然だ。

 

 

村には透明度抜群のきれいな川が流れ、宿泊施設のすぐ横からも川に下りることができた。幸いにも、到着翌日以降の天気は晴れ。休みの日だけでなく、仕事が終わった後も子どもたちと川で遊び放題だった。水中眼鏡をつけて潜ると、すぐ目の前を魚がすいーっと横切るのが見える。これには私も子どもも大喜びで、暇さえあれば川へ遊びに行った。

 

 

夜は、プラネタリウムでしか見たことのない満天の星空が頭上に広がっていた。天の川を見るのは初めてで、宿泊施設の駐車場に寝転がり、家族で星空を眺めた。

 

 

夜の散歩も楽しみのひとつで、村を歩くたびに野生動物に出会うことができた。特に多いのは野ウサギと鹿で、多いときは一晩で8頭もの鹿に遭遇した。子どもたちは「早く動物さん見に行こう!」と、毎晩散歩をせがんできた。

 

また、滞在中に特に感じたのは、家族との時間が増えたということだ。

 

普段、共働きである私と妻はテレワークと通勤を併用しており、通勤日は子どもが眠ってから帰宅することも多かった。テレワークのときも何かと忙しく、仕事を終えた後は慌ただしく子どもを保育園に迎えに行き、晩御飯まで子どもにテレビを見せておく日がほとんどだった。

 

それが下北山村に来てからは、一歩外に出れば豊かな自然が広がり、ちょっと周りを散歩するだけで十分楽しく、子どもたちも喜んだ。そのため、毎日定時に仕事を切り上げ、積極的に家族と外で遊ぶようになった。

 

 

家にテレビやWi-Fiがないのが幸いして、家族での会話も増えた。今日はどんなことをして遊んだのか。何が一番楽しかったのか。明日はどんなことをして遊びたいのか。まさに家族団らんという言葉がぴったりだった。

 

家族みんなでご飯を食べ、夜の散歩に行き、お風呂に入り、眠りにつく。当たり前のことのようだが、普段働いているときは感じることのなかったありがたさ、あたたかさが下北山村にはあった。

 

子どもと一緒に布団に入ったとき、開け放った窓の外から鈴虫の涼しげな鳴き声が聞こえてきた。

 

「パパ、この虫さんの声、めっちゃ綺麗!」

「ほんまやなー。これは鈴虫っていう虫が鳴いている音なんやで」

「鈴虫っていうんか! こんなきれいな声やったら、毎日聞きながら寝たいわ!」

 

そんな会話を子どもとしながら、ふと亡くなった父のことが思い出された。マンション暮らしの私に、秋になると鈴虫を買ってきてくれたっけ。もしかしたら、父も私と布団に入りながら、こんな会話をしたかったのかもしれない。

 

親父。今なら親父の気持ちがわかる気がするわ。

 

そう心でつぶやきながら、我が子の寝顔を眺めるひとときが、とてつもなく幸せだった。

 

家族との絆が深まる場所。

そして、大切なことを思い出せる場所。

そんな下北山村にまた来たい。そう思った夜だった。

 

photo by yuta togo , naotoshi yatani

Yatani Naotoshi
矢谷尚俊

兵庫県出身。大阪の企業で働きつつ、会社のテレワーク実証実験プロジェクトに志願し、縁あって下北山村に滞在。人・自然など村の魅力に惚れ込み、現在は別荘を持つために好物件を探しつつ、購入資金を貯める毎日を送っている。家族もその夢を応援中!

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