何不自由ない人生では感じられなかった、不便さの中にある「豊かさ」のカタチ。

執筆者
関雄
関雄
  1. きなりとトップ
  2. 日々を読む
  3. 何不自由ない人生では感じられなかった、不便さの中にある「豊かさ」のカタチ。

 

大和上市駅からバスに揺られて何時間が経っただろう。
小さなバスはどんどん緑深い道を進んでいく。

 

目的地は下北山村。インターネットで多少調べてはいるものの、どこにあって、どんな場所なのか。
バスが進むにつれてほんのちょっとの不安と、未知なる出会いへの興奮が高まりつつあった。

 

 

何不自由ない東京に生まれて

 

東京都に生まれた私は、何不自由なくここまで生きてきた。

 

都内の大学に通い、そのまま都内の公益財団法人に就職。希望とする仕事に就き、国内外を飛び回り、はたから見ると充実した日々を過ごしているように見えたかもしれない。

 

実際、仕事は楽しかったし、やりがいも感じていた。また、東京では、食べたい物を食べることができ、会いたい人に会うことができ、どこへでも行くことができた。

 

 

ただ、どことなく都会での生活に疲れていたのかもしれない。いや、疲れていたのだと思う。通勤で満員電車に揺られる日々。どこに行っても人がいて、見渡す限りにコンクリートジャングルが広がる。東京は便利だけど、どことなく無機質な空間であるように感じていた。

 

そんな生活を続ける中で、子どもの頃に見たスタジオジブリのアニメ映画『おもひでぽろぽろ』の主人公のように、田舎に憧れがあったのかもしれない。

 

ただ、そんな想いを持ちつつも、田舎に飛び込むことはしなかった。
都会の便利さを捨てることが怖かったのだと思う。

 

そんな自己矛盾を抱えながらも人生の大きな岐路に立ったとき、私は転職と同時に東京を離れ大阪へと移り住む。そして大阪での日々が2年とちょっと過ぎた頃、縁あって下北山村を訪ねることになった。

 

奈良と言えば大仏。それくらいの知識しかない私が、いきなり聞いたこともない小さな村へ行く。

 

どんな環境なんだろう。どんな人がいるんだろう。どんな生活が待っているんだろう

 

そんな期待と不安が入り混じった気持ちで、私はこの村に降り立った。

 

 

未知との出会いの連続

 

下北山村での日々は、まさに「未知との出会い」の連続だった。

 

小鳥のさえずりと共に目を覚まし、家を出ると透き通るような小川のせせらぎが聞こえる。どこを見渡しても深い緑に囲まれ、流れている時間が違うように感じた。

 

普段であれば、慌ただしく通勤する人の流れに身を任せて心を無にする時間。

 

本当に同じ日本だろうか?

 

私が知っている日本の朝とは真逆の光景に、しばらく目を奪われ、その違いになかなか適応することができなかった。

 

 

それと同じくらい戸惑ったことがある。それは「買い物」だ。

 

普段、自宅から徒歩5分の場所に何軒もコンビニがあり、24時間開いているスーパーもレストランもある。出歩かなくても、家にいれば食べたいものをいつでも届けてくれる。そんな何不自由ない生活が「日常」だとしたら、下北山村での生活は私にとっては「非日常」だ。

 

村から40分ほどいけばコンビニもスーパーもあるが、ほしい時にすぐに手に入ったものが村では簡単には手に入らない。このギャップに衝撃を受けた。

 

インターネットのおかげである程度のものは手に入るが、村に来て間もない頃の食生活は、米やパン、パスタなど炭水化物に偏りがちになってしまった。

 

 

 

そんな話を地元の人にしていると、見かねて食料を分けてくれた。

 

「家にたくさんあるから!」と、たまねぎやみかんをくれたり。

「タンパク質が足りないんじゃない?」と、缶詰をくれたり。

「〇〇さんからもらったから、おすそ分け」と、お菓子をくれたり。

「パスタをつくるけど一緒に食べない?」と、昼ご飯を分けてくれたり。

 

恐縮してしまうくらい、本当にいろんなものをいただいた。

 

大阪でひとり暮らしをしていると、マンションの隣に誰が住んでいるかもわからないし、ましてや食べ物をもらったことなんて一度もない。

 

村の人からしてみたら、前から私のことを知っていた訳でもないし、得体の知れない人と思われてもおかしくない。それなのに、初めて出会った私に食料を分けてくれるのだ。

 

 

また、最初に役場の方に村内を案内していただいたことや、不思議なご縁もあり、村で活躍されている方々と知り合うことができた。

 

地域おこし協力隊として自伐型林業に取り組まれている方々、宿泊型転地療養サービスを提供されている企業の方々、Uターンしてきた方々。ときにご飯を食べながら遅い時間まで語り合ったり、カヤックやフットサル、テニスに誘ってくださって一緒に汗を流したり。散歩していたら通りすがりに声をかけてくださったり。

 

短い期間しか滞在しない私にも、心地の良い距離感で接してくれた。

 

 

東京出身でたったひとり、無縁の地・大阪へやってきた私は、「職場以外での人とのつながり」を心から欲していた。だが、ひとりで飲みに行ったりしない私にとって、なかなかそれを持てずにいた。

 

また、都市での生活を完全に捨てきれない一方で、自然豊かな環境にも身を置く、いわば「二拠点居住」のようなものに憧れがあった。

 

そんな中、理想とする環境で、短い滞在の間に欲していたつながりがいくつもできたのは、とても不思議な感覚だった。食べ物をいただいたことも、人とのつながりも、なんだか忘れかけていた大切なことを思い出させてもらったような気持ちになった。

 

 

「豊かさ」ってなんだろう?

 

この村の生活に慣れてきた頃、ふと思ったことがある。「豊かさってなんだろう?」と。

 

これまでの都市部での生活は、物質的には豊かである一方で、必ずしも精神的には豊かではなかったのかもしれない。

 

下北山村は、自然環境には恵まれているものの、便利さという側面からは、物質的には豊かではないかもしれない。だが、人と人がつながり自然と思いやり、助け合う。そんな「精神的な豊かさ」があることを、今回身をもって感じた。

 

下北山村での滞在は、私にとっての「豊かさ」について考える大切な時間となった。短い間ではあったが、お金では買うことのできない大切なものをいくつも下北山村からいただいた。これは私にとって、一生の財産になるのだと思う。

 

今ここに、この村に心惹かれている自分がいる。そして「何かこの村の役に立ちたい」という想いが芽生え始めている。何ができるか、どうしたいのか。まだわからないけれど、「これからもこの村に通いたい」という心の疼きだけは、確かに感じている。

 

 

photo by  Togo Yuta , Seki Yu

 

 

Seki Yu
関雄

東京都出身。大阪府在住。大学でボランタリーセクター研究を専攻。「持続可能な社会の実現」を目指し、大学卒業後はNPO、公益財団法人に就職。現在は製薬会社にてサステナビリティ経営戦略に携わる傍ら、30歳で移り住んだ関西圏で地域とのつながりを模索中。最近はプロボノとしてNPOの広報支援や、友人と共に古民家修復や農作業などに携わる。いつかは自然豊かな環境に移り住みたいと思いつつ、今は二拠点居住の実現に向け模索している。

最新記事 New Post

寄付する

ご利用のブラウザでは正しく動作しません。
Google Chromeなどの最新のブラウザをダウンロードし当サイトをご利用ください。