生まれ育った東京を離れ、下北山村で暮らすことを選んだ理由

執筆者
仲奈央子
仲奈央子
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下北山村との出会い

 

生まれ育った東京を離れ、下北山村に来て約一年半。村との出会いを振り返り、今感じることを書いてみたいと思います。

 

2018年、秋の終わり頃。

 

東京で、地域PRをお手伝いする会社に勤めており、関東の自治体を中心に動画制作のディレクションやSNS運用、記事執筆などのお仕事をしていました。

 

 

日々の業務をこなしながら、新たに挑戦する案件を探している際、ふと目に入った「吉野地域日本遺産活性化協議会」から出ていた『日本遺産吉野PR業務』の公募。

 

奈良といえば“鹿”と“大仏”と“吉野の桜”くらいしか知らないのに、なぜか惹かれてしまった私。会社としては、遠方の案件は利益を出しづらいので、”基本的に私が動く”というスタンスで、企画書作成からプロジェクトの進行まで一人で行うことになりました。

 

現地での提案日、午前中に東京を出発して、指定された吉野町役場に到着したのは午後16時前。「吉野地域の入り口にもかかわらず、こんなに時間がかかるなんて…どれだけ奥が深いんだろう…」と、ワクワクした気分のままプレゼンに臨んだことを覚えています。提案が通り、無事この吉野地域でのお仕事を開始することになりました。

 

 

「日本遺産吉野」は、吉野町を筆頭に、下市町、黒滝村、天川村、下北山村、上北山村、川上村、東吉野村という8町村が携わっているのですが、電車が通っているのは吉野町のみ。そして一番遠かったのが下北山村でした。

 

しかも、そこで取り上げることになったのは、村の中でも一番の僻地である、1300年前に鬼の夫婦が集落を拓いたといわれる「前鬼(ぜんき)」。雪が降る時期、電波も届かないその場所に、一人で下見に行くことになったのです。過酷な状況にワクワクが継続していた私は、変に麻痺していたのか、“ひとりでできるもん”状態でした。

 

結局、そんな無鉄砲な私を心配した吉野町役場の職員さんの紹介で、下北山村の役場職員さんが急遽案内してくれることになったのですが、ここでシーンは一旦、東京で過ごしていた頃の場面に。

 

 

常にインプットしていないと不安だった

 

私が生まれ育った東京・目黒区は、アクセスや治安が良く、公園も多くて住みやすい街でした。

 

 

東京はとにかく選択肢が多く、どこに行くにも何をするにも行動しやすく、逆に何かを辞めたり、方向転換したりすることもハードルが低いと感じる場所だったと思います。

 

子どもの頃はいろいろな習いごとをさせてもらったし、「個性を伸ばして自由に」という両親の子育ての方針の元、進学も就職も選択肢が多い中から、私自身が選んで決めたことに両親が助言や応援をしてくれる、恵まれた環境でした。

 

新しいことを始めては辞めてみたり。仕事も、音楽教室の講師、大手企業での営業、ラジオDJ、ベンチャー企業など、いろいろと経験。新しい人と出会い、付き合いが長く続く場合もあれば、一瞬の付き合いになることもあったり。今思えば、「なんでも吸収吸収!」と、常に「インプット偏向」の状態でした。

 

そんなある日、父に言われたのが、「奈央子はいろんなことをしたり、いろんな人と過ごしたりして、たくさんのことを吸収しているけれど、静かに自分の内面と向き合って、自分のものに落とし込む時間も必要だと思うよ」という言葉。

 

この父からの助言を頭では理解しましたが、それでも意識を「アウトプット」に向けるのはなかなか難しく、引き続き「インプット偏向」の状態を継続していた私には、「常に何かを吸収して、誰かとつながっていないと怖い」という感覚があったように思います。

 

 

村に通底する「ぼちぼち生きましょ」の魅力

 

さて、多くの伝説が残る「前鬼(ぜんき)集落」を案内してくれることになった下北山村の役場職員さん。通行止めや迂回路の情報不足から、待ち合わせの場所に1時間以上遅刻して到着した私に、「どーもー。この先長いんでトイレ行っときますー?」とほんわか笑顔でお迎え。

 

 

このマイペースでほのぼのした空気感、控えめなのになんでも面白おかしくしてしまうユーモア。「なんでも吸収吸収!」と肩に力が入りがちだった私は、この「まぁぼちぼち生きましょ」というペース感に一気に心が和みました。これが、今の夫との出会いです。

 

ただ、この「ぼちぼち生きましょ」というペース感。決して楽観的で現実から目を逸らしている感じでもなく、きちんと世の中のネガティブな部分は見据えている感じなのです。

 

すごく抽象的な話になってしまいますが、「世界が目まぐるしく動いているのは知っているし、心が痛むこともあるけれど、ちょっとしたささやかな出来事も楽しいと感じながら、今できることを自分のペースでやろう」という感じ。

 

それは、当時流行っていた『Sweet and Sour』という曲の歌詞がぴったり重なる感じがしたのも印象的でした。

 

I wish upon a star

世界は相変わらず

急ぎ足で run

追いつけないまだ

Pain と笑みで racing

答えはその先に

It’s like tasting

a sweet and sour candy

言わないで

which is gonna win

 

その後に出会う下北山村の方々からも、同様のものを感じていきます。ほどよい距離感、爽やかな優しさ、押し付けがましくない見守ってくれている感。そして土台には先ほどの「ぼちぼち生きましょ」というペース感。

 

それらのおかげで、基本的に家族以外には“ひとりでできるもん”状態で生きてきた私にとってハードルが高かった、「他人を頼って甘えること」すなわち「人を信じても大丈夫」と思えるようになりました。

 

 

そしてこの場所なら、「常に何かを吸収して、誰かとつながっていないと!」と勝手な恐怖を抱くこともなく、バランスよくインプットとアウトプットをしながら生きていけそうな気がする、選択肢が控えめな分、父に言われた「自分の内面と向き合い、自分のものに落とし込む」こともできるかもしれないな、と思ったのです。

 

選択肢が多い場所は、確かに素晴らしい面がたくさんあります。東京に暮らしていたからこそ、“下北山村で暮らす”という選択ができたのも事実です。でも、私は「この先は選択肢が多い場所に留まる時期ではない」と気が付いたのです。

 

選択肢が多い環境から少ない環境に移住したからこそ、どちらのメリットもデメリットも感じることができます。その経験を、この村で役立てていけたらと思っています。

 

下北山村に移住して約一年半。今、お腹に新しい命を宿しており、春には家族が一人増える予定です。「ぼちぼち生きましょ」というペース感は大切にしながら、大切な家族が穏やかに健やかに暮らしていけるよう、現実を見据えながら生きていきたい、と感じる今日この頃です。

 

 

 

 

Naka Naoko
仲奈央子

東京・目黒区で生まれ育つ。大学卒業後、音楽教室講師・ラジオDJ・大手企業の営業・オンライン音楽スクールの広報、地方自治体のPR業務を経験。2019年に下北山村の地域おこし協力隊となり、コミュニティスペースの活用促進・情報発信・特産品の普及活動などを行う傍ら、ナレーションや司会も行う。地元の男性と結婚し、川に潜り魚を突くことや、夫の狩猟の付き添いが楽しみになった。村内バンド、民謡の再現など、田舎暮らしを満喫している。二児の母。

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