唯一無二の川と共に、ここで生きる。養魚場とジャバラ畑を経営する西村嘉之さん。

執筆者
村島みどり
村島みどり
  1. きなりとトップ
  2. 日々を読む
  3. 唯一無二の川と共に、ここで生きる。養魚場とジャバラ畑を経営する西村嘉之さん。

上桑原地区・西の川のそばの道路沿いに、小さな養魚場があります。

 

周囲は山に囲まれ、畑と田んぼの中に民家が数軒並んでいて、村で育った人たちにとってはなじみ深い風景が広がっています。川のせせらぎが絶えず聞こえてくるこの場所は「西村養魚場」。西村嘉之さんが川魚の鮎とアマゴを育てています。

 

 

西村さん(通称おいさん)は御年86歳。村で生まれ育ち、ずっとここで暮らしてきました。鮎釣りの時期には友鮎を求めて多くの釣り客が車を寄せていて、おいさんと話し込む姿が見られます。いつも人に囲まれていて、みんなから慕われています。

 

50年続く、魚との日々

 

西村さんが鮎とアマゴの養殖を始めて今年でなんと50年! 毎年村内の川に放流されている魚は、西村さんが稚魚から育てた子たちです。「下北山村の鮎は日本一おいしい」という専門家もいるほど。美しい水で育ち、余計なものを食べていないから、頭からしっぽまで余すことなく食べられます。

 

「川は村の大切な財産や」と力強く言い切る西村さん。養殖を始めたきっかけは、川の魚がいなくなってしまったこと。幼い頃から大好きな川で釣りに親しんできたからこその決断でした。

 

やっぱしダムができて川の魚がないなってきたやろ、ほんならおれもやってみよかってな。

 

最初のアマゴの卵は、前鬼川から採ってきたといいます。網をかついで、バイクで前鬼の山奥まで走ったのだそう。

 

(アマゴを)採らんならんゆう頭なるやろ? 一生懸命やった。卵の産んどるとこ見つけといてね。じーっと卵が流れてくるやろ、それをすくうて。

 

少年のようなにこにこ笑顔で語る西村さん。豊富な山水を使って育てていて、水温調節や餌やりは長年やっていても難しいといいます。

 

米や作物と一緒での、気候が一番左右されるな。この前の夏みたいに暑かったらな、餌をよう食べんのや。大きならん。

 

 

あれもこれも、自分で作る

西村さんの本職はブリキ屋(屋根の工事をする職人)さん。魚の養殖を始めたのは30代の頃、仕事のかたわら、趣味でのスタートでした。

 

おいさんねー、自分でコンクリ練って池(水槽)作ったんやけど、建設会社の知り合いが「砂利や材料、いる分だけ持ってけ。その代わり成功したらあまご持ってこいっ!」とタダでくれたんや。そっから長い付き合いやった。野菜や酒や持ってったりね。そらやっぱし、恩を忘れたらあかん。

 

 

半世紀もの間、なぜ養殖を続けてこられたのか聞いてみました。

 

そんなもん好きやからやってる。小さいもんがおおーきくなるのが楽しみや。魚もジャバラも一緒やで。子どもが育つのはうれしい、それと一緒。みんなおんなじやないんこ?

 

シンプル! たしかに、その通り! うんうん頷きました。

 

 

20年ほど前、西村さんは「ジャバラ」の栽培も始めます。ジャバラとは、お隣の和歌山県北山村が原産の柑橘の一種で、花粉症に効果があるといわれる「ナリルチン」という成分が豊富に含まれています。ゆずとみかんの間くらいの酸っぱさで、目が覚める爽やかな酸味とほんのり苦くて甘い独特な風味がとってもおいしいのです。

 

 

栽培方法は、隣の北山村の農家さんから少しずつ学んだそう。

 

3年間、毎っっ月! なんかしら持って聞きに行ったよ。いっぺんに教えてくれんのや。栃餅や亥の子餅、鮎の甘露煮やら持ってったな。なんもかんも教えてもらってな。その人は93歳で亡くなったわ。亡くなる前に誰かに伝えときたかったんやないかなと思う。

 

 

おいさんに、おいしい食べ方を教えてもらいました。

 

鍋するときにな、ジャバラをな、ポン酢にちゅーっと絞って入れるのがええんや。焼酎に割って飲むのも最高!

 

西村さんが丹精込めて作ったジャバラを使って、いろんな商品が生まれています。代表的な品は、ジャバラ果汁を使った「奈良下北山村育ちのジャバラ生搾りとポン酢」。下北山村特産物加工組合が製造販売を行なっています。

 

 

皆さんにもぜひ味わっていただけたらうれしいです。

 

 

小さなご恩も大切に

 

私がふるさと納税担当者となった2021年当時は、ジャバラ関連の産品は返礼品登録されておらず、村内の温泉施設「きなりの湯」の売店と橿原にある「まほろばキッチン」でしか販売されていませんでした。それが今や全国の寄附者の手に。「花粉症の時期は手放せない」とリピートしてくださってる人もいます。

 

2023年には、地域商社「一般社団法人下北山つちのこパーク(以下、つちのこパーク)」が設立され、西村さんと共同での商品開発も始まりました。ジャバラとあまごの魚醤を合わせて作った「あまぽん」、奈良女子大学の学生さんとコラボしたバスソルトやマヨネーズなどなど、どんどん増えていっています。

 

 

西村さんも「つちのこパーク」の商品開発に期待を寄せています。

 

どれか一つ当てれ、言うんじゃ俺は。何作ってもかまへんよって。下北山産の名を売るんやったら一つね。どんな商品でもかまん。

 

 

スタッフの道下考平さんは、86歳にして今なお学び続ける西村さんの姿勢を尊敬しているといいます。

 

西村さんのすごいところは、いまだに日々、勉強・リサーチされているところだと思います。今でも北山村に行って、「よりたくさん、いい実がなるように」と研究しているんです。20年近く栽培していて、あの年齢で、今より来年もっと向上するぞという姿勢は本当に尊敬します。次の世代に向けていい状態で残したいという思いを持ってらっしゃるんじゃないかなと。

 

そして、西村さんは、手伝ってくれた方にはお礼を忘れず、感謝の気持ちをちゃんと伝えてくれるんだそう。

 

定期的に僕の家族も呼んで食事会をしてくださったり、感謝の気持ちをしっかり届けてくれるところもすごいと思います。小さい物事もはっきり覚えていて、ここまで「恩」を大切にしていらっしゃる方はなかなかいないですよね。

 

 

川魚、ジャバラ、下北春まな、全ての生産者である西村さん。下北山村自慢の特産品を長年引っ張り、支えてきました。

 

幼少の頃から山と川と共に生きてきて、自然の厳しさも恩恵も味わってきたからこそ、村への愛情が一層深いのかもしれません。そして、村に対する愛情と同じように、人にも深い敬意を持って接するおいさんの姿に惹かれて、人が集まってくるのでしょう。

 

おいさんおるかの~?

 

今日も軽トラが何台も停まっていて、おいさんたちがなにやら楽しそうに話し込んでいます。

 

おい、春まな持ってけ~!

 

お世話になった方には、「おおきんの~」の気持ちでおすそ分け。西の川のせせらぎのようなやさしい人の交流が、そこにありました。

Murashima Midori
村島みどり

1989年、大阪生まれ。宿泊型転地療養サービス「ムラカラ」を利用したことがきっかけで下北山村に移住。村の自然に癒され、村民さんとのあたたかい交流を経て回復した。2021年から村のふるさと納税担当として奮闘中。お笑い大好き。

最新記事 New Post

寄付する

ご利用のブラウザでは正しく動作しません。
Google Chromeなどの最新のブラウザをダウンロードし当サイトをご利用ください。