行ってきまーす!
近所のおばさんやおじさんに大声で挨拶すると、「めぐちゃん、行ってらっしゃい!」と応えて見送ってくれる。そんな日常がある村で私は生まれ育ちました。
中学卒業と同時に高校が通える街に引越し、5年が経った今もそこに住んでいます。もちろん実家は下北山にあり、春休みや夏休みのタイミングで帰省しています。
子どもの頃は、家の前の坂にダンボールを敷いて滑り台にして遊んだり、夏休みは川に入ったり、冬は雪だるまを作ったり。
毎週土曜日は車で30〜40分のところにある熊野に買い物に行きました。買い物以外で村から出ることはほとんどありません。どちらかといえば休みの日も村にいたいと思っていましたし、天気のいい日は日向ぼっこが最高に気持ちよくて、日が沈む夕方まで、窓の近くにへばりついて寝ていたこともありました(笑)。
田舎って不便ちゃう?とか、することないんちゃう?って思う人もいると思うのですが、本当に不便に感じたことはなく、なんなら近くにスーパーやコンビニがないくらいが丁度よかったと感じています。
私がそんな村の魅力に気がついたのは、高校に入学してからでした。同級生の人数が中学のときの100倍になり、満員電車に揺られて登下校する日々。同じ奈良県なのに、こんなにも生活が違うのかと圧倒されました。
村では、1本でも逃せば学校に行けない、しかも3人ほどしか乗っていないバスに揺られて通学していました。春は桜を見ながら。夏は青い空や、川が光の反射でキラキラしているのを見ながら。秋は赤や黄色に色づいた紅葉を見ながら。冬は霜が降りて全体がうっすらと白くなっているのを見ながら。
静かーなバスで、私は毎日、下北山の四季を感じていました。部活帰りにバスを降りて、家まで歩くあいだに空を見上げると、ほんっとうに綺麗な星が見れて、そんな毎日が下北山にいた頃は当たり前やったけど、当たり前じゃなかったんだと改めて感じています。
高校の同級生からは「どこ出身なん?」と聞かれるほど訛っているそうで(笑)、「下北山村〜!」と答えても「え、どこ?」と聞かれてばかりでした。言葉も違う。周りの環境も違う。しかも同じ県内なのに、全然知られていない。この事実に驚きと寂しさを感じ、高校を卒業する頃には、心のどこかで「下北のよさをもっとみんなに知ってほしい」と思うようになっていました。
下北山の人たちがこれからも元気に暮らしていけるように、下北山で生まれ育った私だからこそできることがあるのでは? 高校卒業後の進路を考えたときにそう思い、地域の人に寄り添える「社会教育士」になることを目指し、社会教育学科がある大学へ進むことに決めました。
「社会教育ってなに?」とよく聞かれるのですが、簡単に言うと人と人が一緒に暮らしていくために、つながりを作ったり強くしたりという活動をする仕事です。
文部科学省Webサイト
社会教育にはたくさんの役割がありますが、防災のことや、観光、福祉、教育とかけ合わせて考えられています。
活動場所の例としてわかりやすいのが、公民館です。公民館はどんな人でも利用できて、たくさんの人が集まり、やりたい活動を自分からやろうとできる場所です。そんな公民館で、多くの社会教育士が地域の人の学びやつながり、活動を支えています。
大学では、天理の商店街で、商店街関係者の方や、会社の方々と一緒にイベントを企画させていただいたり、公民館での講座のお手伝いをしたりしています。特に、商店街での活動では、昔からお店を営んでこられた方々と新しい取り組みに挑戦し、その取り組みやつながりを支えることを意識して活動しています。
このような活動を通じて、人には一人ひとりの考えや思いがあって、その地域で暮らしているからといって、その方々を一括りにするのは違うなと感じています。下北山でも同じことが言えますが、下北山を離れる人も、ずっと下北山にいる人も、みんなそれぞれ思いがある。その思いを汲み取りながら、下北山で暮らす人を支える社会教育士になりたいと思っています。
私がそんなふうに思うようになったのは、実は、お父さんの影響が少しだけ。
お父さんは、村役場で働いていて、下北山のことを発信したり、村に来ようと思う人たちを迎えたりしていました。村民の人とも、村外の人とも、お父さんはとにかく人に関わっていました。今、社会教育を学ぶようになってみて、お父さんがしていたことは、人と人とをつなげる役割をしていたのかもしれないと思うようになりました。
そんなお父さんを近くで見ていたからこそ、私も、いつの間にか社会教育というものを目指すようになっていたのかもしれません。
「行ってらっしゃい!」と見送ってくれていた人が村を出てしまっていたり、亡くなってしまっていたり、下北山に帰る度に近所の人が少なくなっています。やっぱり、子どもの頃から知っているおじさんやおばさんがいなくなるのは寂しいです。
仕方ないことと言ってしまえばそこまでですが、私の祖母の視点になって考えてみると、ずっと近くにいた友達が一人ずつ遠くに行ってしまい、だんだん自分だけになっていく……そういう気持ちではないかと思います。
そう考えると、祖母のことも心配になります。つながる機会が少なくなったり、つながりが弱くなったりしてきている今だからこそ、人が少なくなっても、今までのつながりを維持したり、新たなつながりを生み出せる居場所が必要だと感じています。
今の私に、何か大きなことはできませんが、大学で学んだことをきっかけに、下北山で暮らす人たちが一緒に生きていける「場」を作れるような人になっていきたいです。
私は、下北山村が大好きです。地域の人たちが大好きです。いつ帰っても「おかえりー!」と言ってくれるおじさんおばさんがいるこの村が本当に大好きです。
私を育ててくれた下北山村。そして、今の私の目標であり、活力でもある下北山村。
いつも思うけど、やっぱりこの村に生まれてよかった!
- 和田恵歩
- Wada Megumu
下北山村出身。中学卒業と同時に村を離れ、現在は奈良県内の大学に通う大学生。役場に勤める父の影響もあり、人と人が共に暮らしていくために、つながりを作ったり強くしたりする「社会教育士」になるべく勉強中。