自信のない自分を下北山村が変えてくれた話

執筆者
大西貴大
大西貴大
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僕は現在、東京に本社のある「株式会社リヴァ」が下北山村で運営する宿泊型転地療養サービス「ムラカラ」の一員として、うつ病などの精神疾患を抱えた方々を支援する仕事をしています。

 

 

下北山村に来て2年が経った今、村での生活を思い返し、「下北山村に出会うことができて良かった!」「村に来て人生が変わった!」と心の底から思います。兵庫県出身の僕にとって、あっという間に第2の故郷になった下北山村での2年間を振り返り、自分自身の経験を通じて僕なりに村の魅力を伝えてみたいと思います。

 

 

僕が村に移住してきたのは、2021年10月のことでした。同年4月に新卒でリヴァに入社し、東京で新卒採用やリヴァの10周年プロジェクトなどを担当しました。

 

新卒採用では、主に説明会や面接などの案内・準備、スカウトといった学生への対応、10周年プロジェクトでは、同期と3人で一部企画の立案に取り組みました。また、新規事業立ち上げに向けての取り組みにもメンバーの一員として参加するなどしました。

 

初めての社会人生活、右も左も分からない状況で、自分自身のスキル不足や慣れない東京での生活も相まって、自分で自分を必要以上に追い込んでしまい、コンビニを出た瞬間に涙が止まらなくなったこともありました。我ながら情けなくはありますが、そんな自分と向き合うのはしんどく、東京で過ごした半年間はとても辛い期間でした。

 

もうリヴァを辞めて関西に帰ろうかな。自分には無理だ。

 

諦めそうになっていたある日、リヴァの取締役の青木さんから「ムラカラに来ない?」と声を掛けていただきました。返答までの期限は1週間。目いっぱい悩みました。

 

 

今ここで東京を離れたら、それは逃げではないか。
村での人間関係はうまくやれるだろうか。
ペーパードライバーだし、運転できるだろうか。

 

そんな葛藤や不安もあったのですが、それでもやっぱり「新しい環境で挑戦し、自分自身を変えたい」という思いが勝り、下北山村へ移住し、ムラカラで支援員として働くことを決意しました。

 

そして、2021年10月。兵庫県の実家から3時間ほどかけ、父に車で送ってもらって下北山村を訪れました。初めて村に足を踏み入れてまず感じたのは、空が青く、木々の緑がとても美しく、空気がとても新鮮だということ。

 

 

都会では決して味わうことができない世界に心が躍り、下北山村の空気が優しく自分を迎え入れてくれたような感覚になったことを、今もはっきりと覚えています。また、池神社の前を通った時に感じた他とは違う神秘的かつ身の引き締まるような雰囲気、これまでの人生で観たことがない美しい星空などなど、初日から大自然に圧倒されました。

 

 

社会人1年目にして一大決心したムラカラへの異動でしたが、福祉のバックグラウンドがない自分にとって、初めての支援の仕事もなかなかついていくことができず、東京のときと同様に最初の半年から1年は辛い期間となりました。それでもなんとか踏ん張って、下北山村で一緒に働くムラカラの先輩方のサポートを受けながら少しずつできることを増やそうと努力を続けました。

 

すると、今までは「できない」→「自信を失う」という負のサイクルに陥っていたところが、いつしか「できることが増える」→「自信がつく」というポジティブなサイクルが回り始めていきました。そして仕事が「楽しい」と思えるようになってくると、少し余裕が出てきたのか、村での日常も楽しむことができるようになっていきました。

 

例えば、毎週夜に寺垣内にある旧小学校の体育館をお借りして企画しているフットサル。ムラカラスタッフや役場の方、地域おこし協力隊として働かれている方など、村に住む方々が集まり、子どもから大人までが一緒にひとつのボールを蹴って楽しんでいます。身体を動かすだけでなく、フットサルを通じて村の方々と交流でき、一緒に笑ったり喜んだりできる瞬間がとても幸せです。

 

 

また、村でひとりで過ごす時間も楽しんでいます。東京に住んでいたときはひとりで過ごしていると「寂しい」という感情になることがよくありましたが、村で過ごしていると不思議と寂しい気持ちはなく、心が浄化されるような感覚になり、とても落ち着きます。

 

家の前にある庭でキャンプ椅子を広げ、ひとりでぼーっと山や空を眺めながらコーヒーを飲む時間は至福です。一例ではありますが、今では毎日充実した楽しい日々を送っています。

 

 

今年の10月で社会人生活も3年目に突入しました。ここまで村とともに社会人生活を歩んできたという感覚があります。まだ2年ではありますが、我ながら中々いろんなことがありました。

 

仕事ができず、毎日のように落ち込み自信を失っていた時期。周囲のサポートを受けながら、少しずつできることを増やそうと一生懸命取り組んだ時期。できることが増えてきて、仕事をするのが楽しくなり始めた時期。どれも自分にとってとても大切で、それらを経験したからこそ、今充実した日々を送ることができているのだと思います。

 

自分自身の村での社会人生活が今後の支援の仕事にどう活きるのか、現時点ではわかりません。でも、自分の弱さ、苦しみや痛みを知っているからこそ、目の前の人に寄り添うことができるのではないかとも感じています。ムラカラを利用してくださる利用者さんの話を聞きながら、可能な限りその方に寄り添い、同じ目線で一緒に考え、伴走していきたいです。

 

また、将来的には、子どものメンタルヘルスの問題についても考えていきたいと思っています。自分自身、幼少期から自己肯定感が低く苦しんだ経験がありました。社会的にも、コロナ禍以降、不登校や引きこもりの人たちが増えているとの報道もあります。

 

僕はこの村で、きっかけひとつで人生が変わることを身を持って経験させてもらいました。だからこそ、子どもや若者向けの「自己肯定感の低下」「不登校・引きこもり」といった社会課題を解決するような、「好き」や「得意」を見つけるきっかけ・場づくりを行う事業の必要性を感じています。

 

そんな事業をしようと考えたとき、下北山村のように自然豊かな環境や地域の人たちが温かく応援してくれるようなフィールドがとても大事になるように感じています。まだまだ先のことになるかもしれませんが、亀の歩みだとしても、一歩ずつ、実現に向けて努力を続けていきたいと思っています。

 

Onishi Takahiro
大西貴大

1995年生まれ。兵庫県出身。2021年4月に「株式会社リヴァ」へ入社し、同年10月の宿泊型転地療養サービス「ムラカラ」への異動を機に下北山村へ移住。精神疾患を抱えた方々への支援員として従事。自宅前の庭でキャンプ椅子を広げ、山や空を見ながらコーヒーとともに過ごす時間が好き。

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