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  3. 村で出会った同い年のナイスガイ

橿原市在住の写真家・都甲ユウタと申します。「とごう」と一見して読めない苗字と、誰が見ても「すごく焼けてますね」とご指摘いただく日焼け顔を引っさげて、写真撮影と息子の少年野球に付き合う日々を過ごしています。

 

 

9年ほど前、撮影の仕事で下北山村の明神池を撮るために初めて下北山村を訪れました。村の中でも標高の高い場所にある池峰という地域に足を踏み入れた際に感じた「家屋はあるのに人の気配がまったくしない異世界感」は、いまでも鮮明に思い出すことができます。

 

photo by akashi kensuke

 

それから数年おきに何度か仕事で村にお邪魔するうちに、下北山村の美しい自然や素敵な人たちと交流する機会に恵まれ、街から村へ通うようになりました。

 

そんな街に住むぼくでも下北山村の「盛り上がり」を感じることができていますが、それでも人口減少が続く、村のこれからはどうなっていくのだろう……と、そんなことを考えてしまいます。

 

特に地方と呼ばれる地域について、「10年後は大きく変わる」と言われているのをよく耳にします。村民ではないぼくにとって、それは最優先心配事項ではないというのが本音。なによりぼく自身の未来が不確定かつ不安定だというのに、遠くの小さな村の行末を案じている、というのはどこか嘘が混じっているようでこそばゆい。もっと言うと下北山村はなんか全然大丈夫なんじゃないか。「盛り上がり」を感じているからか、そんな気すらしてます。

 

あれから、お宿がオープンし、新しい会社が設立され、東京から定期的に若者が遊びに来るイケてる池峰地区

 

村外にいる人間の耳には、当然といえば当然ですが、良いニュースしか聞こえてきません。「若い方が移住してきた」「林業経験バリバリのおっちゃんがきた!」「 赤ちゃんが生まれた」「また赤ちゃん誕生!」「 新しいお店がオープンした!」などなど。

 

ぼくはこのプラスの事実に全力で歓喜し、推していくのがベストではないか。不安要素は解決する気のある場合のみ考えることにしようではありませんか!ビバ下北!

 

 

楽観的にも程があるぞ。

 

そんな声が聞こえてきそうですが、下北山村にはそう思わせてくれる、素敵な人たちがたくさんいるんです。中でも村役場に勤める北さんと俊さんは共に村で育ち、街で働き、また村に帰ってこられた同級生。そして今、村をより良くするため、なにより自分たちの故郷への愛をもって尽力されています。

 

 

北さん俊さん(とリズム良く呼ぶのが好き)とぼくは同い年で、妻子を愛し、魚と森も好きで、一緒に仕事をしたり、山の整備をしたりしています。共通項が多いと親近感も増してくる。そんな素晴らしい二人の友人を紹介してみたいと思います。

 

北直紀さんは村の林業の活性化に努めている人です。自ら山を買い、己が腕で木を伐り、重機を操り道を作る。ぼくはその北さんの山で一緒に整備をさせてもらっています。

 

 

作業の合間に山でお昼ご飯を作って食べるのがとても楽しいのですが、北さんは料理がやたら上手い。サッと作るパスタがすごいんです。なにより「ちょっと家から持ってきた」食材がなんかおかしいくらい美味い。

 

 

釣りもやたら上手く、仕事で村に滞在していた大学教授に「やってみます?」の軽いノリで鮎の友釣りの指導をしていた姿がとても印象に残っています。

 

 

もちろん林業に関してのインプット・アウトプットの量には頭が下がるのですが、最もときめいてしまう北さんポイントは「やさしい人」だということ。怖いとか、怒りっぽいということとは無縁で、自分の好きな人をいつも気にかけているそのナイスガイっぷりが素敵なのです。

 

 

上平俊さんの村を想う熱意みたいなものは、本人はもしかしたら自覚がないかもしれないけど、かなり熱いものがあります。一緒に仕事をさせてもらうことが多く、このポータルサイト「きなりと」や移住交流施設「むらんち」を作る過程で俊さんが遭遇した葛藤や苦労や喜びを少しでも共有できたことが、ぼくの大きな自慢でもあるのです。

 

 

魚獲りが上手いところは男として尊敬できるし、いつも分け前を爽やかにくれるので、ありがたく受け取ると、なんだか親分子分の関係になったようで、これも嬉しい。母子家庭の女姉妹に挟まれて育ったぼくは、お兄ちゃんがほしかったのだ!

 

  

今これを書いている最中に俊さんから電話があり、これから取り掛かるお仕事に関しての話をしました。写真で村に貢献できるように頑張りたいと強く思えるタイミングです。こちらもやっぱりナイスガイ。

 

 

北さん俊さんと出会って、村の豊かさに触れ、そこからさらにたくさんの村民の方々に出会い、ぼくの人生は少し変わりました。ドーンと大きく変化するのではなく、ジワジワと染まっていくような感覚です。

 

口に運ぶ野菜。視界に入ってくる動植物、人間。鹿と猿への冷ややかな目、ブラックバスへの愛憎など、普段の生活で日々下している判断の基準に、村フィルターがかかり、年々濃くなっています。

 

10年後はどうなっているでしょうか。ぼくたちの子どもは成人して、家庭の生活環境も変わっているかもしれない。下北山村の森は豊かになって、村の特産品は評判を呼んで、ご縁で結ばれた移住者が増えているかも。

 

どうなるかわからないけど、とりあえずぼくが死ぬまでは、子どもを連れて村の川と森で遊ぶつもりです。

 

Togo Yuta
都甲ユウタ

写真家、たまに執筆。1984年、大分県生まれ、橿原市在住。魚採り「ガサガサ」に夢中になったことをきっかけに、川や森に興味を持つ。下北山村で開催された林業研修に参加し、そこで出会った仲間たちと森林整備を楽しんでいる。

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