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こんにちは、河野祐子といいます。

 

2022年4月、下北山村で「合同会社森のび」を林業のプロフェッショナル安井さんと共に立ち上げ、活動しています。

 

村の方々には「むーみん」で覚えてもらっているから、本名が河野(かわの)祐子であることを知らない人もいると思います。村を初めて訪れた日から4年。これまでと「森のび」のことを書いてみます。

 

幼い頃の記憶と重なる下北山村

下北山村に来る前は、神奈川県の海に近い町・葉山に住み、デザインと庭と畑の仕事をしていました。

 

兵庫県神戸の生まれですが、幼い頃から父の転勤で広島、岡山、大分、福岡、大阪と転々とし、兵庫県芦屋で就職。東京へ転勤して神奈川へというように、数年おきに引っ越しを繰り返してきました。人との距離の取り方がわからないのは、そのせいかもしれません。

 

ちょっかいを出されて毎日泣いていた小学校低学年。福岡へ移ったのを機に、「弱虫な自分を変える!」と心に決めたらお転婆路線まっしぐら。母が新しく作ってくれたスカートで有刺鉄線をくぐり、ビリビリにして帰宅したら母がショックで泣いてしまったり、毎日外で暗くなるまで遊びに夢中で家に入れてもらえないなんてこともしょっちゅうでした。

 

幼い頃、正月は父の実家の宮崎で、お盆は母の実家の岡山で過ごしました。

 

宮崎では牛に餌をやり、親戚が経営する鶏舎で大量のひよこに囲まれたり、プールのようなうなぎの養殖場で稚魚を眺めたり。夜空を見上げたら降ってきそうなくらい星が見えて、美しいを通り越して怖くなったのを覚えています。

 

岡山では、祖父と毎朝田んぼの水を見に行き、水路の魚を追いかけ、畑でトマトをかじり、お風呂を薪で沸かしました。

 

土間のあるお家がとても好きでした。

 

両親からは、今思えば、伸び伸びと、いつもやりたいことを自由にさせてもらい、尊重してもらえていたように思います。下北山村に住むことを決めたのは、こうした田舎での楽しい記憶が影響しているのかも。

 

その幼い時に経験したことが、今でもこの村では経験できて、ほっとします。住んでいる池峰地区の自宅にはかまどがあり、毎年摘んだ茶葉を近所の照ちゃんと炒ったり、お客さんが来たら羽釜ご飯を炊いたりしています。

 

毎年、池峰ではGW後に茶摘みをして、かまどで炒ってお茶を作ります。

 

お風呂は薪をくべて沸かせるし、トイレは未だボットン。昭和の雰囲気漂う、おばあちゃんちのようなお家に暮らせているのは幸せだなと思います。

 

美しい風景と林業に出会う

初めて村を訪れたのは2019年の3月。先輩移住者の小野夫妻のお誘いで、奈良市内で開かれた村在住のイラストレーター・上村恭子さん主催の「下北山村めはり寿司&たかきび団子」ワークショップに参加したことがきっかけでした。

 

下北春まなとたかきび団子。おいしくて、恭子さんのイラストに心が和んだ。

 

ワークショップ終了後、村に帰る村民さんの乗り合い車に同乗させてもらいました。

 

車中では、仲ナナ美さんたちと楽しく話しながら、でも真っ暗な夜の山の中を奥に奥に入っていくにつれ、だんだんと「いつになったら着くのだろう……」と不安になっていきました。

 

朝起きると、目に飛び込んでくる切り立った緑いっぱいの森、青く透き通る川、山から沸き起こる濃い霧。

 

なんて美しい風景……。

 

心が喜んでぷるぷると震えたのを覚えています。ちょうどその頃、庭仕事を毎日のようにしていて、「より自然に近い環境は何か?」と思っていたところだったので、すぐに「また来たい」と思いました。

 

その年の8月の終わり、村に滞在すること1週間。台風で大雨が降っても変わらない山々に安心し、ここに移住しようと決めたところ、宿泊していたゲストハウスに置かれていたチラシにこんな文字が。

 

森づくり 自伐型林業研修開催 誰でも参加できます!

 

ハッとしました。「山=庭より自然に近い環境」。ここに住むなら、山のことを勉強しよう。そう思い、葉山に戻ってからも林業研修のことが頭からずっと離れませんでした。役場に電話をすると、林業担当の北さんが「はい~、ぜひ参加してください!」と言ってくれて、「毎月参加します!」と宣言。後から聞いたら、毎月は来ないだろうと北さんは思っていたみたいです。

 

役場の林業担当・北さん

 

松葉垣内(※垣内とは土地の区画のこと)の風景。毎年、米作りは今もここで続けている。

 

10月から村に毎月通いました。研修は楽しくておもしろくて、わからないことだらけだったけど、何か私にできることがあるのではないかと思い始めました。学び足りなくて、研修の仲間と下北山村に集まる理由がほしくて、研修後「下北山ライトクラブ」を結成。今も、北さん所有の通称「僕山」で月に一度程度集まって、楽しく真面目に安全に、森に道をつくり、整備しています。

 

下北山村で出会い楽しく活動して5年目のライトクラブ

 

ちなみに少し話がそれますが、生駒市に住む薪割り少年(ツバメ少年)樹くんに出会ったのは、移住する直前の春。王寺町・陽楽の森で開かれたイベントでのことでした。

 

生駒在住のツバメ少年・樹くん

 

私たちは、薪を割ったら珈琲が飲める「薪割り珈琲」で出店。「下北山村にぜひ来て!」と言ったら本当に来てくれたのです。都会から来て村を楽しむ樹くんの姿を見ていて、子どもたちと自然に触れる機会を作りたいと強く思いました。この時の思いは、のちに村の小学生たちに向けて開催している「森のび教室」へとつながります。

 

 

協力隊としての日々、そしてこれから。

2019年春、下北山村で自伐型林業の林業振興を担う地域おこし協力隊になりました。何もわからない状況から少しずつ山への理解が深まり、林業のことを知るにつれ、課題の多さに途方に暮れました。

 

それでも、森づくりへの興味は絶えることはありません。自分自身が実際に経験し、体感してみないと理解できない質だからです。道づくりのプロフェッショナルである岡橋一嘉さんの指導のもと、選木・伐倒・間伐・道づくりについて学びました。林業はとても危険な仕事です。でも、人間に欠かせない水を守り森を育てる、長期的視点を持ちながらも今できることをする、覚悟のいる、尊敬できる仕事だと思いました。 

 

温かく見守りここぞという時に助ける岡橋一嘉さんの指導。協力隊はいつも励まされる。

 

その秋、浦向地区にある「移住交流体験施設むらんち」の立ち上げプロジェクトに参加して、協力隊の仲間と「むらんち」に使われる杉・檜を間伐・搬出しました。東京の学生団体「まとい」、大阪工業大学のメンバー、上平さんを中心とした役場の皆さんと、何度も議論して、泣いたり、笑ったりしてつくっていきました。むらんちに関われたことは、自分の中でとても大きなことでした。

 

 むらんちのコンセプトもみんなで考えた。

 

地域で育っている木を地域で使うことを自らやる、それを見えるカタチにして残す。

 

80年前に植えられた木を伐採させてもらい、村の施設で使う。その空間が、新たな移住者の心に響き、ここに暮らしたいと思ってもらえたら、そして移住者と村民さんとの交流の場になればと思いました。「むらんち」は今では、村を訪れる人にとっての最初の「居場所」となっています。

 

縁側で村民さんとも交流もできる、下北山村移住交流体験施設むらんち

 

2020年の協力隊2年目の春。コロナ真っ只中に、森林管理・計画をする石丸さんと林業の経験が豊富な森林整備の担い手として安井さんが協力隊として入ってきてくれました。二人には、森を育てること、森についての考えがしっかりとあって、「やっと下北山村で森づくりができるメンバーが揃った!」と心の中で叫びました。そして、この年から役場の北さんを含めた4人の森づくりが始まりました。

 

「いしまるさんぽ」という植物観察会もするほど広葉樹や植物が詳しく大好きな石丸さん

 

木を寝かすように静かに倒す、自然に沿うことを大事にする安井さん

 

安井さんの最初の印象は、細かい点まで気がきいてとても繊細な人。山では猛スピードで動き回り、森のことを考え安全第一に施業ができる、山への向き合い方を教えてもらいました。

 

そして、協力隊を経験してみて、3年という任期後に自伐型林業を主たる生業として生きていくには、次の3つが課題になると私は思っています。

 

1.施業する山の確保
2.ユンボなどの重機の確保
3.知識と技術の習得

 

1の「施業する山の確保」は、山の境界明確化の作業をやってみて、とても大変な時間と作業がかかると実感。次は下北山村で作業道を開設できる場所はどこなのかという視点から、1年かけて岡橋一嘉さんと4人で、安全に道をつくることができる山を何度も探しました。

 

滝ノ谷の現場 安井さんが初めて開設した作業道の風景

 

林業の現場は里山の奥であることが多いから普段は見えません。だから、いつも「何をしているの?」と聞かれてしまう。それならばと、集落から近い国道のそばである「見える現場」を優先し、施業地として決めたのが、私たち「森のび」が初めて受託し、安井が今作業道を開設している池峰地区の山になります。提案書を作り、山主さんに会い、承諾をいただくことができました。

 

池峰の山からは国道が見える。

 

そして、協力隊の卒業を1年後に控え、卒業後も活動していくための「拠点=居場所」が必要だと思ったときに、前々から気になっていた池峰の大きな倉庫のことを思い出しました。

 

 

あそこなら、習い始めた木工旋盤の機械を置けて、林業の作業もできる!

 

そんなふうに、いつも寝る前に妄想し具体的にイメージをしていました。

 

いよいよ当時区長だった山本静夫さんに相談すると、倉庫の大家さん松本良三さんに会うことになりました。伝えたいという想いが溢れて、自分たちがやろうとしていることの資料は瞬く間に完成。松本さんにそれを見てもらいながら一通り説明すると、「わかった、貸そう、応援する」と言ってもらえました。

 

倉庫を片付けて、松本良三さんと。

 

家に帰り、嬉しくて、ここでやっていく覚悟が決まりました。そしてこの日から、さらに、どんどん、いろいろなことが動き始めました。そのお話は、後編で。

Kawano Yuko
河野祐子

1971年生まれ。兵庫県神戸市出身。デザイン会社に12年勤めた後、独立。神奈川県葉山に住みながら、下北山村主催の「第3回自伐型林業研修」に毎月参加し、山の素晴らしさに目覚める。このときの仲間と「任意団体下北山ライトクラブ」を設立。2019年4月より林業振興の地域おこし協力隊となり、地域創生室との移住交流体験施設「むらんち 」プロジェクト、自伐型林業研修、道づくりの研修など企画運営し、森と担い手と山主をつなぐ活動を行う。2022年3月、協力隊を卒業。同年4月、森と人をつなぐ「合同会社森のび」を安井とともに設立。

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