家族、仕事、自分。夫とともに村に戻り、暮らし、悩み、ようやく見つけた、ふたつの夢。

執筆者
本田美紀子
本田美紀子
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みなさんお元気ですか? 夢に向かってがんばってますか?

 

実際に下北山に移住して、アイデアがたくさん浮かんできてわくわくドキドキしている方も、すでに夢を叶えた方も、夢に向かってがんばっているけど、なかなか前に進めなくて苦しんでいる方もいらっしゃるかもしれません。

 

仕事も辞めて、結婚で、あるいはパートナーの仕事のために下北山に来たけれど…友達もいない、自分が輝ける働く場所もない、スーパーも病院も遠い、寂しくて孤独で、先が見えなくて心細くなったりしていませんか?

 

結婚して、パートナーを下北山に連れて帰ってきたけれど、果たしてこの選択でよかったのだろうか? パートナーに申し訳ないというか、心を痛めている方はいませんか?

 

下北山の生活にも大分と慣れたし、不便にも慣れたし、友達もできたし、楽しくやってるよ!

 

そう思ってくださっていたらうれしいです。「何もない秘境的なところが好きよ!」とか、「下北山に来てよかったよ!」と思っていただけていたら、もっとうれしいです。

 

 

私は下北山出身で、主人は埼玉の生まれ。長野で出会い、下北山に帰ってきてから23年が経とうとしています。

 

Uターンしたきっかけは、主人が下北山を気に入ったことでした。「無農薬の自然農法で農業をしてみたい!」という主人の夢を叶えるため、埼玉で幌のついた軽トラックを借りて、布団とお茶碗ひとつ、圧力鍋、少しの着替えとCDコンポを荷台に載せ、身ひとつでやってきた主人と下北山に戻ってきました。

 

 

結局、草ボーボーの中で育てる野菜づくりは周りに反対され、主人は銀行に勤めていた私の父から地元の会社や役場などで働くことを勧められたり…夢叶わないことも多くありましたが、「田舎に来たのだから、自分で何かする仕事を見つける!」とそこだけは譲らず、木工の仕事を選びました。それが5年前には村の6次産業化を目指して10年ぶりに復活した「下北山製材所」の指定管理業者となり、現在に至っています。

 

 

私はというと、移住してから17年勤めた地元の会社を辞め、主人の会社の手伝いを始めてかれこれ5年近く、人生で一番辛い時期を過ごしていました。いつもイライラして主人と喧嘩ばかり。小学生の息子たちにもいつもガミガミ。怒る理由はさまざまですが、そんな毎日でした。

 

仕事や恋愛、苦しいことや辛いことに直面したとき、環境を変えることで解決できる場合もあります。しかし、当たり前ですが、主人や子ども、仕事や住んでいるところといった環境を変えることはできず、その状況を乗り越えるには、自分を変える以外に方法はありませんでした。ただ、自分に向き合い、自分の考えや思いを変えることほど、難しいことはありません。

 

決して家族のことが嫌いなのではなく、生活を不満に思っているわけでもありません。でも、私は、主人の仕事を手伝うために勤めていた会社を辞めたわけで、自分が好きで選んだ仕事でもないその日暮らしの雑用や力仕事に、どうしてもやりがいを感じることができませんでした。

 

 

そんな中で、「大きな製材所をお預かりし、経営し、会社を継続・運営し、なおかつ村に貢献できるのだろうか?」といった不安に押しつぶされそうになる、行き場のない感情を主人にぶつけていたように思います。本当にごめんなさい。子どもたちには怒ってばかりのお母さんではなく、いつも明るいお母さんでいたかった…。

 

「こうなりたい」と思い描いていた自分と、そうなれてない自分とのギャップに苦しんでいたのだと思います。今考えると、それは環境の変化による戸惑いや葛藤や苦しみから生まれた、「このままではいけない」という自分自身の心の声だったような気がします。

 

一方で、主人は製材所という立場からいろいろな村のプロジェクトに関わらせていただき、、みんなと一緒にひとつの目標に向かって取り組んでいる。そこには人と人とのつながりがあり、達成感や喜びもあり、そんな主人の姿が羨ましく思えました。

 

私は会社を辞めたことにより、喜びを分かち合う人とのつながりもなく、すべてを失ったような寂しさや虚しさも感じるようになり、そのように変わってしまった生活と環境に心と体がついていけず、やがて半年ほど仕事を休むことになりました。

 

 

その頃の下北山は、自伐型林業の取り組みや製材所が始動し、念願だった下北山へのUターンを果たした方がいたり、夢を抱いて移住してきた夫婦がいたり。みんなキラキラ眩しく輝いていました。

 

その人たちの何気ない日常、そこにある下北山での暮らしをSNSで見たとき、私の沈んだ心は癒され、とても元気づけられました。みんなが夢に向ってがんばっている様子が自分のことのようにうれしくて、「夢は周りのみんなを元気にするのではないだろうか?」と本気で思うようになりました。主人や息子たち、大好きなあの人にも、ママ友にも、おじいちゃん・おばあちゃんや村長さんにも、「あなたの夢はなんですか?」と聞きたい気持ちになっていきました。

 

そこで、まず主人に聞いてみることにしました。

 

すると、彼からは「怪我や事故なく、平穏無事に日々を過ごすことかなぁ」という答えが返ってきました。もしかすると、それは平凡な夢だと思われるかもしれませんが、私には、主人のどうしても守りたいこの祈りのような思いが痛いほどよくわかりました。そして、その夢を守るために、仕事や日々の生活の中で応援してあげたいと心から思いました。

 

長男の夢は「バンダイに就職して、大好きなガンダムのプラモデルをたくさん作ること」。次男の夢は「半分ユーチューバー、半分スカイウッド(主人の会社)で働くこと」。うむうむ。私の心は楽しくワクワクしてきます。

 

じゃあ私の夢はというと、実はふたつあることに気がつきました。

 

ひとつは、「SKY(しもきたやま)こどもクラブ」をつくって、村内外の子どもたちと、野外活動を通して自然や森や季節ごとの下北山を楽しむことです。

 

 

せっかく豊かな自然や森が目の前にあっても、遊んだり、学んだり、関わりをもたなければその意味は半減してしまいます。下北山には全国に誇れるキャンプ場があっても、地元の子どもたちは飯ごうでご飯を炊いたり、テントでお泊りしたり、キャンプファイヤーをしたりという楽しい思い出をつくる機会が実はあまりありません。

 

 

私の小さい頃のアルバムを開くと、魚を釣っているところや、河原でおにぎりやスイカを大きな口でほおばっているところなど、自然の中で過ごしている写真がたくさんあります。写真を見ると、そのときの楽しい記憶が蘇ってきます。

 

 

ごんぱち、わらび、栃の実。お正月の飾り様は今でも山に入り、自分たちでつくります。杵と臼でつくるおもちやこんにゃく。「金木犀の香りがしたら松茸を採りに行こうか」という家庭の中で育ちました。季節の楽しみがDNAに記憶され、今でもその時季がくると「わくわくスイッチ」が入って、子どもたちを連れて、かつて両親が私にしてくれたのと同じように繰り返しています。

 

下北山の地元のお父さん・お母さんはもちろんのこと、私自身もそうですが、この「わくわくスイッチ」をたくさん持っている人が、下北山にUターンしてきたり、移住してきたり、遊びに訪れてくださるような気がします。

 

 

下北山の子どもたちは、中学卒業と同時に親元を離れ、高校に通います。私自身、結婚を期に下北山に帰ってきましたが、町での暮らしがしんどくても、いつでも帰れるふるさとがあったからこそ、心を強くして、失敗してもチャレンジして、ここまでやってこれたと思っています。お金では買えない、ふるさとの楽しい思い出を、野外活動を通じて、子どもたちやみなさんと味わってみたいのです。

 

そして、もうひとつの夢が、題して「下北山夢の木森プロジェクト」。

 

4年前に役場の農林建設課のみなさんと「山の学校」という催しを開催したときに、「森のかき氷屋さん」を手伝ってくださったママ友におそろいのバンダナをプレゼントしたことがありました。

 

そこに描かれたイラストを見て、私は「こんな森が下北山にあったら素敵だろうな」と思いました。

 

 

いろんな種類の(違いを認め合う)木があって、少し休める小屋(ゆっくり過ごせる場所)がある。みんなの夢(木)が集まって下北山に小さな森(夢)ができたら素敵だろうなぁ…、一人(一本)だったら、自分だけの夢で終わってしまうかもしれないけれど、みんなの夢が集まって森になったら、それはそれは素敵な森が下北山にできるのではと…。

 

自分の幸せも、他人の幸せも、その森を訪れると、なんだかほんわりあたたかく感じられる場所。みんなの夢も応援したくなる。その森の住人は、自分の夢も応援してくれる。そして、訪れたいとき、感じたいときにいつでも行ける森。そんな、目には見えないコミュニティ。決して大きな夢じゃなくていい。日々の些細な幸せを願ってもいい。その森には、孤独や寂しさもありません。だって、みんなが集まる森だから。

 

バンダナのイラストから広がる妄想。それが「下北山夢の木森プロジェクト」です。

 

皆で一緒に素敵な森を育ててみませんか?

よかったら、みなさんの夢を聞かせていただけたらうれしいです。

 

 

追伸

 

最近、改めて生まれ育ったふるさとが下北山村でよかったと思うのです。昔とちっとも変わらない、山や川や青い空。

 

時に温かく。時に厳しく。

 

私にとって、すべてを包み込んでくれるようなところです。私は今、自分の打ち込める仕事を見つけることができました。5年間の自分の葛藤を乗り越えて、毎日がんばっています。関わってくださるすべての皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。いつも本当にありがとう!!

Honda Mikiko
本田美紀子

生まれも育ちも下北山。1999年、結婚を期にUターンし、夫が立ち上げた「スカイウッド株式会社」で、毎日こつこつものづくりの手伝いをしている。村での暮らしと子育てを楽しむ2児の母。

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