今なお完成形を探究する「はし吉」の杉箸。

  • 作り手 | 森岡誠さん(はし吉)
執筆者
村島みどり
村島みどり
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(文=村島みどり)

 

下北山村の佐田地区、小高い丘の上に小さな建物がある。ここは40年にわたって吉野杉の割り箸を作ってきた「はし吉」の箸工場だ。

 

 

「はし吉」の杉箸は、ふるさと納税制度が開始された2008年に村の返礼品に選ばれた。樹齢110年以上の吉野杉を手作業で削り上げる「吉野杉樹齢百拾年手づくり箸」と、手軽に使える「割り箸10膳セット」が人気だ。

 

 

「はし吉」という名前のきっかけとなったのは、当時小学生だったお子さんの一言。

 

吉野の「吉」を使ったらどう?

 

個人事業として経営していた森岡商店を法人化するときに、何か箸にまつわる屋号に変えたいと机にかじり付いて考えていたが、結局長男と長女が出してくれたアイデアを採用。夜の一家だんらんの中で「はし吉」は生まれた。

 

 

森岡さんは福岡県の出身。御歳75歳になる。海苔の養殖を生業とする家の、7人兄弟の5男として誕生。子どもの頃から、いつか独立して商売がしたいと思っていた。

 

大人になり、大阪の繊維関係の商社に就職。営業から仕入れまでを経験した。羊毛のこと、原料についても徹底的に勉強した。その経験からか、今も原料の「吉野杉」にこだわって勉強し続けている。

 

 

小売りについても学びたい気持ちからスーパーマーケットを経営する会社に転職し、4年ほど働いた。その頃の上司が「人と人とのつながりが一番大事やぞ」と教えてくれた。売りたい物がどれほど良い商品であっても、人とのつながりがあって初めて売れるのだと。

 

そんなある日。下北山村で林業をしていた義理の父から突然の電話が。

 

森岡家を継いでくれないか?

 

いずれ自営業をすると心に決めていたので、大阪でやるのも新天地でやるのも一緒やと思い、婿入りして苗字を変え、下北山村に移り住んだ。

 

 

当時32歳。知らない土地で、箸作りのことも一切知らないところからのスタート。5年間は苦労の連続だった。

 

「勉強させてほしい」と箸屋さんに頼みに行っても、戸を閉められた。それでも何度も通い、なんとか中に入れてもらった。職人の背中を見て、独学で学んだ。言葉では教えてくれないので見て覚えるしかなかった。

 

卸しの単位は、箸5000本で1ケース。箱を開けて、中身を広げて、全部チェックされる。不良品の割合が多いと取引はしてくれない。見せては突き返される。その繰り返し。問屋を回るも、どこも同じ評価だった。

 

まだこの技術ではあかんのや……。ならこうしてみよう。

 

試行錯誤の日々が続く。そしてある日、「この箸ならええな」と、問屋さん。

 

よっしゃ!!!!!

 

5年の苦労が報われた瞬間だった。やっと一人前として認められ、大きな問屋に卸すことができた。

 

その5年の苦い経験があるから、品質に関してはどこにも負けんぞという自負がある。無駄なことはひとつもない。サラリーマン時代の営業も、仕入れも小売りも、すべての経験を箸作りに注ぎ込んできたんや。

 

 

ようやく事業が軌道に乗り始めた頃、オイルショックが起きた。当時は従業員を20人以上を抱えていて、箸が売れないと養っていけない。

 

市場調査のために関東・中部・大阪方面へ足を向けた。その中で「来てもいいよ」と言ってくれた会社へ、はるばる東京まで。出会った社長がたまたま吉野の出身で、見ず知らずの若者の話を親身になって聞いてくれた。

 

下北山村というところで、吉野杉を使って天そげ箸を作っています。最近箸が売れないんですが、お客さんの需要はないんですか?

 

そう聞くと、「そんなことない、足らなくて困ってるよ」と驚きの言葉が返ってきた。それならと、サンプルを見せる。

 

ええよ、買うわ。

 

まさかの即決。その場で売れるとは思っていなかった。続けて在庫を聞かれ、答える。

 

その半分ほしいから売ってくれ。

 

ポンと買ってくれた。1ケース5000本を20ケースを送って、月末には現金が入ってきた。

とにかく安堵した。

 

 

森岡さんは言う。

 

箸づくりに終わりはない これで完成やってことはない。手先の仕事の人はみんなそうやと思う。箸を作るのも刃物を研ぐのも。材料の吉野杉も何千本何万本とあるけど1本1本違う。自分がそれに刃物を入れてな、 切ってみたら、やっぱり違う。そういうこと考えたら、さっき言ったように 完成っちゅうのはないと思う。一生では足りない、二生三生はかかる。

 

毎朝6時半には工場に立ち、夜まで箸作りに向き合ってきた43年。休みの日曜日も、午後からは翌日の段取りを考えている。

 

目の込んだ節の少ない、品質の良いものだけを使っている。そうすると、木質に沿ってスパッときれいに割れる。

 

 

ある日、私は箸工場の小さな薪ストーブに当たりながら森岡さんとふるさと納税に関する打ち合わせ(というかほぼ雑談)をしていて、杉箸の端材がたまっていく一方だということを知った。自家用で燃やして処分するには大量すぎる。村内のキャンプ場に焚き付け材として無償で渡して喜ばれているという。

 

それ欲しい人いるかも!

 

どのくらいあるのか聞くと、工場の外壁沿いにたくさん積み上げられ、奥の倉庫にも山のようにあった。
割り箸の端材が出来る瞬間。1本つくるたびに出る。

 

 

値段の相場も、何キロ単位で売れるものかもわからない。わからないなりに調べて仮説を立て、提案すると、森岡さんは「とにかく出るかわからんけどやってみよか」と快諾してくれた。そして2022年1月、寄附受付を開始した。

 

 

すると、すぐに申し込みがあった。薪ストーブにもキャンプの焚火にも、燃えやすい杉は便利なのだ。処分に困っていた端材たちが価値あるものに変わり、全国の方々に届くことがうれしかった。

 

一度に4箱分、寄附してくださる方もいたので、3ヶ月間、毎月1箱届く定期便もつくった。2024年2月には、既存の5kgから大幅に増量した20kgサイズも公開した。

 

今のとは種類の違う箸のセットを出そう。組み合わせはどんな感じがええかな?
菜箸を出そうと思うんやけど、どんくらいの量がええと思う?

 

気づけば、私は森岡さんとの返礼品作りにどんどんチャレンジしている。その交流が楽しい。

 

いつも前向きで、よそもんの若者を応援してくれる。それはかつて、森岡さんも「よそもんの若者」だったからかもしれない。外からの見た視点でこそ生まれる特産品もある。

 

森岡さんは、「村民の当たり前の光景を自然な形で未来にも残していきたい」と言う。私の力は小さいけれど、森岡さんが大切にするその思いを、これからも応援したいと思う。

 

 

 

Murashima Midori
村島みどり

1989年、大阪生まれ。宿泊型転地療養サービス「ムラカラ」を利用したことがきっかけで下北山村に移住。村の自然に癒され、村民さんとのあたたかい交流を経て回復した。2021年から村のふるさと納税担当として奮闘中。お笑い大好き。

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