2024年、うるう年の2月29日。営業時間が終わったコワーキングスペースBIYORIのシェアルームには、まだ明かりが灯っていました。中を覗くと、木製のテーブルを挟んで向かい合う二人の女の子に、若い男性が何やら語りかけています。
男性:高校入試の日が迫っているけれど、よく寝れていますか? 睡眠時間を削ってがんばっているかもしれないけれど、リズムを整えておくのも大切です。試験は大体9時ごろからスタートするはずなので、当日の起床時間は6時くらいになるんじゃないかと思います。なので、普段から7時ごろには起きるようにしておきましょう。
これは、東京に住む大学生たちが村の子どもたちに勉強を教える「地域未来塾」の一幕。男性は、一橋大学に通う現役大学生で、学習塾事業を村から受託している「学生団体まとい」の代表・森藤啓介さんです。
「まとい」は、5年ほど前、当時慶應義塾大学の学生だった松村萌音さんが立ち上げた、下北山村と都市部の大学生をつなぐ学生団体。他大学の学生と活動するいわゆるインカレサークルで、現在は、慶應義塾大学や早稲田大学など、首都圏の大学生が所属しているそうです。
当時、下北山村を訪れた松村さんは、都会で暮らす大学生が村に対してできることはないかと考え、村の子どもたちと楽しく過ごす機会をつくりました。
「まとい」を立ち上げた元代表・松村萌音さん(写真は当時)
その活動がきっかけとなり、松村さん卒業後に、後輩たちが地域未来塾を企画。「学校以外で学習できる塾がない」「子どもたちが外の世界と交流する機会が乏しい」という地域の課題に着目した活動として、昨年度村からの委託を受けるかたちで実施されました。
森藤さん:3月4日が、今年度の地域未来塾の最終日です。 この日の内容はまだ決めていないんだけど、 二人の勉強の進み具合をみて決めようと思っています。最終日と言ってますが、入試までにもしわからない問題があったとか、ここが気になるなどあったら対応するので、連絡をもらえたらと思います。では、今日は社会ですね。始めていきましょう。
この日のテーマは江戸時代。高校の入学試験を間近に控える女子たちに向けて、代々の徳川将軍と補佐役、それぞれの時代の取り組み、江戸幕府による三大改革などについてのポイントを押さえる講義が行われました。
初代の家康はもちろん、二代・秀忠の時代の大名を取り締まる「武家諸法度」や貴族・皇族の行動を制限する「禁中並公家諸法度」、三代・家光が始めた「参勤交代」など、それぞれの代で取り決められた法律を、名前だけでなく、言葉の意味や時代背景、人物の人柄などについても触れながら、森藤さんは一つひとつ説明していきます。
例えば、五代・綱吉が発した不殺生の法律「生類憐みの令」は、一般的には天下の悪法といわれますが、実は朱子学を取り入れ、武断政治から文治政治へと移行を試みた画期的なものだったそう。そのエピソードを通じて、森藤さんは、「物事は多面的である」というメッセージを、二人に伝えていたように感じました。
享保・寛政・天保と各時代に行われた三大改革、田沼意次、大塩平八郎、桜田門外ノ変、ペリー来航など、世の中を変えてきた人物や数々の出来事が一つの表にまとめられたところで、2時間の講義は終了。
森藤さん:たくさん覚えることがあって大変だと思うかもしれないけれど、「この表さえ覚えたらいいんだ」くらいの軽い気持ちで覚えてもらうといいと思います。じゃあ、今日はここまでにしましょう。お疲れ様でした。
二人を見送るために部屋を出ると、お母さんたちがお迎えに来られていたので、「地域未来塾はどうですか?」と質問してみました。
お母さん:塾に行かせようと思ったら車で30分以上行かないといけなくて、とても助かってます。それに、すごく熱心に教えてくださるので、ありがたいです。
聞けば、2023年度の地域未来塾は8月にスタートして以来、8人の学生で分担してリアルとオンラインを掛け合わせ、この3月までに週に3回講義をしてきたといいます。
地域未来塾に参加するまといのメンバーたち
なかでも、森藤さんは8月以降だけで7回、実際に村を訪れて対面で講義しているのだとか。7ヶ月に7回とすれば、月に一度のペースです。東京から6時間以上かけて、奈良の秘境の村へ、度々訪れるその熱量はどこからきているのでしょうか?
森藤さん:子どもの頃から歴史が好きで、日本全国いろんなところを訪ねるのですが、そのなかでも下北山村は非日常な場所であるにもかかわらず、実家に返ってきたような落ち着く感じがあるというか。住んでいる方みなさんがとても温かくて、訪ねるたびに新たな出会いがあったり、何かをいただいたり、行事に参加させていただいたり、そういうのがすごくおもしろくて。他の地域も行くんですが、何回かに一回は下北山村に来ちゃう感じですね(笑)。
そういう下北山村のあり方や、人々の暮らしぶりに、森藤さんは自身の研究テーマである「環境経済学」にもつながる何かを感じています。
森藤さん:経済学って、人間が自分たちの幸福感を最大化するように日々消費計画とか生活のスタイルを決めていると仮定した上で そういう人間がたくさんいる社会で理想的な状態を達成するにはどうすればいいのかとか、今起きている現象はどういう制度によるものなのか、そういったことを分析するような学問なんですが、その中でも環境経済学は、経済学的なツールを使って環境問題を解決していくことを目的にしています。
人々がぞれぞれ、あくまで自己利益を最大化しようとして行っている行動があるのであれば、ある制度によって、人々が利潤を最大化した結果として環境によい行動ができるような、行動誘因メカニズムみたいなものをつくることができれば、人々はそれぞれ自分のことを考えて行動しているのに、それが地球環境全体にとってよい結果になる。そういう行動を誘引するメカニズムはどういうものが考えられるか、みたいなことを卒論にしようとしているんですが、一方で、大学でやってることってやっぱり理論的なんです。ひたすら微分・積分というか、いろんなものを組み合わせて、数式でモデリングしてってやってるんですけど、そこでどんどん実世界と離れていっちゃうのが怖いなと思っていて。
例えば、「人間の行動を誘引する」ってとんでもない罪を伴う可能性があると思うんですけど、そこにはやっぱり、哲学というか、何が人間の幸せなのかということをちゃんと考えられる人がやらないと、きっと全然違うものになってしまう。
こういう地域が、将来の環境問題解決の主役の場になるというのも、この村に来るひとつ理由ではあるんですけど、ここにいると、人間が所得以外で感じる「本当の幸せ」みたいなものを感じられる気がしていて。だからこそ、地域未来塾をはじめ、いろんな関わり方をしていって、自分がどこにたどり着くのかはわからないんですが、この下北山村で、ひとつ納得がいくところまでがんばってみたいと思っています。
そんな森藤さんに、地域未来塾を通じて関わる子どもたちの様子について尋ねてみました。
森藤さん:同級生が二人しかいない場合、やっぱりある意味でライバル関係になってしまうというか、どちらかが必ず上でどちらかが下みたいなことになるので、発言や質問、悩みの相談のようなことがしづらいというはあるんじゃないかと思います。だからこそ、僕たちみたいな外の人間が相談相手になったり、刺激になったりして、普段じゃできないことをしたり、考えないことを考えたり、村の魅力を再発見したり、そんな役割を担えたらいいなと思いますね。
設立当初から「まとい」の活動をサポートし、本事業も担当している下北山村地域振興課の上平さんは、森藤さんの話に大きく頷きます。
上平さん:そうなんですよね。本当に、女子は二人しかいないので、彼女たちにとって相談できるのって親か先生しかいなくて、都会だと友達同士で悩みを相談したり、一緒に発散したりできる場所があると思うんですけど、この村にはまだそれがなくて。誰かに話を聞いてもらえる場所があるだけでも、全然違うなと思って、この未来塾がその役割を担ってくれたらいいなと最初に思ったことを、今思い出しました(笑)。学力の向上はもちろんできたらいいけれど、むしろそういう、子どもたちにとっての「もうひとり」という存在になってもらえたらいいですね。
ふるさと納税で応援いただいた皆さんからの寄付に支えられ、実現している地域未来塾は、村の子どもたちにとっての学びの場としてだけでなく、子どもたちにとっての新たな居場所としての可能性を育み、また、未来を担っていく大学生たちの、都会では得難い経験の場にもなっていました。
ちなみに、講義を受けていた二人の女の子たちの桜は、無事に咲いたそうです。改めまして、寄付をいただいた皆さん、本当にありがとうございました。彼女たちの高校生活が、楽しく、健やかなものでありますようにと、共に願っていただければうれしいです。
- 赤司研介
- Akashi Kensuke
合同会社imato代表。2児と2猫と1犬の父。東京の広告会社でコピーライターとしてキャリアを積み、2012年に奈良県宇陀市の農村地へと住まいを移す。大阪の印刷会社CSR室に所属しさまざまな地域プロジェクトに関わったのち、2016年に独立。2021年、ヨガ講師である妻と共に「今と生きる」を目指す「合同会社imato」を設立し、「今とつながる編集と執筆」に取り組んでいる。伝えるを育む編集者ユニット「TreeTree」共同代表。「NPO法人ミラツク」編集担当。奥大和の今を書き残す『奥大和ライフジャーナル』、下北山村の暮らしと関わりを届ける『きなりと』、彩り豊かな御所を描く『ごせのね』など、複数の地域Webメディアを編集・運営中。40歳から剣道を始める。